創価学会指導集1「指導者」より
人材は見つけるものだ。
まず見つけて、それから育てていくのだ。
だんだんと育ててよくなる場合もあるが、原則として、人材は見つけるものである。
「同じように育てても、同じように育たない」のが人材育成の妙です。
石ころをどんなに磨いても、ダイヤモンドにはなりません。
ダイヤを作るには、まずダイヤの原石を見つける必要があります。
広宣流布は仏意なので、いつの時代、どんな場所にも、ダイヤの原石は必ず出現しているはずです。
いないはずがありません。見つからないのは、幹部のメガネが曇っているだけです。
学会が青年の育成に力を入れているのは、まさにこの原則です。
次世代のリーダーには、若さが不可欠です。
青年部で言ったら、30代ばかりを訓練しても、育ったころには卒業になってしまいます。
やはり、未来を担う若手の訓練を優先していく必要があります。
本当の人材を育てるのは大誠実である。
そうすれば、10人いて3人しか育たなくても30人分の働きをする。
技術や策で10人のうち9人を育てても、それは9人分の働きしかしない。
受け身で会合に出るだけの人材が何万人育とうと、広宣流布は進みません。
たとえ1人でも、10人20人と折伏を決める人材を育てることが、広宣流布につながります。
誰人たりとも人材である、ということを念頭に置いた指導、育成を忘れてはならない。
人材の中にはダイヤの原石もいれば、ルビーの人、水晶の人もいます。
全員を同じように育てよう、幹部にしようとして訓練しても、必ず失敗します。
そもそも今の学会には幹部が多すぎます笑
力不足の幹部が、めいめい自分勝手な指導をしているため、みんなが混乱しています。
ガラス玉がダイヤのふりをしているようなものです。
幹部に向かない人材には、その人なりの使命があるのです。
そして、全体としてはそういう人材が多数を占めているはずです。
社会で大きな実証を示す場合もあれば、新聞配達を地道にやり抜く場合もあります。桜梅桃李です。
幹部だけで広宣流布を進めることはできません。
全員が幹部になることはできないし、そんな必要など無いのです。
多少不安や力不足があっても、この人を将来立派な幹部にしていきたいと考えたならば、まず登用して、それから育成することである。
最初から十分な力を持った幹部はどこにもいませんから、最初は思い切った抜擢が必要です。
ただしそれは、
決して「役職さえ与えれば勝手に育つ」ことを意味しません!
それでは、くじ引きで幹部を決めればいいことになってしまいます。
登用したならば、決して放任せず、最後まで責任もって育てていくことです。
これは同時に、育たなかった場合は交代させる責任を含んでいます。
力不足の幹部を放置しておけば、組織はどんどん弱体化してしまいます。
幹部の登用についても、折伏力があるかというような、単純な考え方は古い。
大きく未来を目指し指導力、実践力、企画力などを総合して考慮し、判断していかなければ、新しい時代の指導者の育成はできない。
折伏が全然決まっていないというのではお話になりませんが、もちろん、本流の数だけで幹部を選ぶわけにもいきません。
一定以上の教学力が無ければ、デタラメな折伏になってしまうし、適切な指導もできません。
仕事の都合などで十分に動けなければ、正の役職には不向きでしょう。
一般教養も必要です。学会の幹部は庶民のリーダーですが、それは決して無知無学でいいということを意味していません。それは、庶民を見下す考えです。
庶民のリーダーだからこそ、エリートと対等に渡り合えるだけの学識教養が必要です。
学会幹部たるもの、聖教だけでなく日経くらいはチェックしておかないと、組織がバカにされてしまいます。
そして何より幹部に求められるのが「実証」です。
男子部の大幹部が、卒業まで平社員で結婚もできませんというのでは、かえって周囲に信心への不信を抱かせてしまいます。
世間では、アラフォーの男性は2ケタ以上の部下を抱える立場になっているのが当たり前です。それ以上のポジションに上がっていなければ、幹部として実証を示したとは言えないでしょう。