学会の歴史上、反逆した最高幹部と言ったら、山崎正友と並び、元教学部長の原島嵩を忘れてはならないでしょう。
原島の父親は、創価学会理事長で公明党初代委員長の原島宏治(結党直後に急死)です。
早稲田大学を卒業し、聖教新聞社に入社して、若いながらも教学面では池田先生の右腕でした。
しかし、若いのに酒乱で有名であり、酔っぱらって深夜に家に上がり込むなど、嫌な思いをさせられた会員は少なくありませんでした。
最終的には、山友にそそのかされて学会を私物化しようと共にクーデターをもくろみ、組織を追放されます。
原島は世法の上では国会議員の息子で高学歴エリート、組織でも最高幹部の御曹司という、生粋のサラブレッドでした。
それゆえに、師匠を含め庶民の学会員を見下す生命が強かったのでしょう。
おそらく池田先生は、原島のエリート意識に危惧を抱くがゆえに、あえて身近に置いて目を光らせていたとも考えられます。
ともあれ原島の反逆は、世襲人事が失敗に終わるという教訓を後世に伝えています。
日顕の父親も、謀略で猊座を手に入れた日開です。やはり世襲です。反逆者は、判で押したように似通っているものです。
「社長の息子はバカ息子」と相場は決まっています(笑)庶民感覚こそ「仏智」であり、鋭く悪を見抜く根本です。
追放後の原島は正信会や日顕宗を渡り歩きます。1人では何もできず、群れたがるのも反逆者の特徴です。足軽会も同類ですね笑
やがて原島は糖尿病が悪化し、生きながら全身が腐り始めます。
晩年には両眼とも失明し、聴覚もほとんど失いました。寝たきりの生活で床ずれが悪化し、手術を繰り返しますが効果はなく壊死が広がり、まさに目を覆う末路でした。
死ぬべき時に死ねず、生きながら地獄に墜ちるほど、恐ろしいことはありません。
しかもこれは、無量劫に及ぶ無間地獄の、ほんの入り口に過ぎないのです。
これが破和合僧の罰です。
青年の弱点は、歴史をまだよく知らないことです。ゆえに、貪るように広布の歴史を学ぶことが、青年リーダーには絶対に不可欠なのです。