大石寺の細井日達管長(当時)は、創価女子学園に大石寺から2億の寄付をすると、池田先生と約束していました。
しかし2億が惜しくなった細井管長は、昭和48年10月13日、正本堂会計から拠出したことを学会に事後報告します。
信徒蔑視、庶民蔑視の宗門の体質がここにも表れています。
翌日、正本堂左側車寄せにおいて、約束を破られた池田先生は管長に直言します。
「2人で話し合ったことが壊されるようでは信用できません! これからは皆の前で正々堂々とやります」
「学会を目的としてください。手段とせず、利用しないでください。本当に皆が欲しいのは慈悲です」
これについて管長は後に、自分のことは棚に上げ、北条副会長に
「会長さんは、10月に公衆の面前で私を罵倒した」
「あれでは管長の権威は丸つぶれだ。よその管長だったらあんなふうにはされないでしょう」
そうクレームを伝えています。
確かに、人前で中心者、それも一宗の長に恥をかかせるのは、世法では悪であり、破和合僧のようにも見えます。
しかし、それをやらざるを得ないほど、学会に対して、管長の積み重なる裏切りがあったのでしょう。
その後も昭和49年7月6日、細井管長と面談した池田先生は
「私はありのままです。猊下はよく忘れる。そしてすぐ怒る」
全く媚びることなく直言を続けています。
池田先生は最高幹部に厳しいとよく言われますが、より上位の宗門に対しては、さらに厳しかったのです。
キューバの独裁者カストロとの対談でも「共産主義も手段です」と明言されています。
相手がどこの誰であろうと、責任ある立場であるほど、庶民を守るため、厳しく言い切っていく。それが師匠の戦いでした。
当然、宗内からは「池田は在家の分際で生意気だ」という声が高まるでしょう。あえてそのように仕向け、他の会員を守ってきたのです。
会員の忠犬、庶民の忠犬に徹し、あらゆる権威権力と対決してきたのが、池田先生の真実です。
次は、君たち青年の番です!