因果応報のような、仏教の代表的な説でさえ、釈迦が初めて説いたものではなく、バラモン教からの借用です。
また釈迦は坐禅で悟りを開いたとされますが、坐禅はヨガの「蓮華坐」と全く同一のポーズであり、釈迦が元祖であるとは考えられません。
仏経は方便として数々の外道の教えを含んでいます。これらの「不純物」を取り除かないと、釈迦が真に説きたかった教えは見えてきません。
真に釈迦オリジナルと考えられる教えは、ただ法華経のみにあります。
方便品では十如是によって「一切衆生に等しく仏性がある」ことが明かされます。方便品が根拠となって、それまで成仏が不可能とされてきた二乗、女人、さらに提婆達多の成仏まで約束されます。
如来寿量品では「久遠実成」が説かれます。遠い未来の成仏ではなく、久遠元初から一切衆生が仏であると宣言したのです。
これにより、バラモンから借用してきた因果応報とは、完全に決別したことになります。
いわば法華経本門に至って、仏教はようやくバラモンから完全に独立した一個の宗教として確立したといえます。
法華経が説かれた以上、不純物まみれの権教は毒にしかならず、速やかに捨て去るべきなのです。