若き日の日記1960/3/30より
理事長より、全幹部の意向なりと、また機熟したので、第3代会長就任を望む話あり。
我儘なれど、きっぱり断る。疲れている。
4/9より
第3代会長の推戴を決定の由、連絡を受く。丁重にお断りする。
誰かー疲れ果てた我に代わり、指揮する者ぞなきか。
4/11より
第3代会長決定の重大会議。
幾度か断れど、いかにしてもやむをえず、決意せざるを得ぬか。
実に苦しむ。言語に絶する緊張を念う。
4/12より
第3代会長就任への、皆の強い願望の伝言あり。私は、お断りをする。
どうしても返事をできえず。
4/14より
家を出る。足重し。
第3代会長の願望をば、理事長はじめ、3理事より受ける。
断ることができず、自然に承認の格好となれり。
万事休す。
やむをえず。やむをえざるなり。
日記からは、池田先生にとって会長就任がいかに「絶望」であったかが、ひしひしと伝わってきます(笑)
好き好んで、創価学会の会長をやりたい人間などいません。
また、その重みが分からない人間が会長になれば、学会は終わりです。
ともあれ、会長を断り続けて罰を受けたということはなかったようです。
役職を受ける以上、きちんとやってもらわなけば困ります。
子どもではないのだから、やる気が無いなら、きちんと断りましょう。
使命の自覚無き者、適性を欠く者に役職を押し付け、組織が機能不全に陥るケースが多すぎます。
そうなる原因は、やはり組織を分割しすぎたことです。大勢の幹部が必要になれば、どうしてもレベルが低下していきます。
どう見ても地区リーダーが適任という人材が、部長どころか本部長にまで上がってしまうケースもあります。
こうなると「力不足はお互い様」でなれ合いとなり、幹部同士が甘やかし合うことで、結局はメンバーが苦労することになります。
幹部こそ、量より質です。
当面は兼任で間に合わせるとしても、できるだけ速やかに組織の統合を進め、過剰な役職を整理していく必要があります。
役職で成仏が決まるわけではないのです。