21世紀のパイオニア 105頁より
会長になろうなどという気持ちをもってはならない。
あくまでも、会長というのはご仏意なのです。なりたくてもなれない、なりたくなくても、ならねばならない宿命なのです。
1人の会長を中心として、全員が会長と同じ自覚と力をつけねばならない。それが異体同心なのです。
会長になったから偉いのだとか、会長になれなかったから私は直弟子ではなかったのか、とかいったことで思い悩む必要はありません。
現代はそういう育て方、訓練の仕方ではないのです。
会長になろうということを目的にしていく人は、五老僧の眷属になってしまう。やはり名聞名利のそしりをまぬかれない。
会長1人の力で広宣流布できるわけではないし、会長にならないと成仏できないわけでもありません。また、会長になったから成仏が約束されることもありません。
役職はあくまで世法上の地位に過ぎず、それで信心の深さを測れるものではないのです。
これは全ての役職に共通します。
幹部になることを目指したり、役職で成仏が決まるといった見方は、信心が歪んでいます。
下手をすると「幹部でなければ信心しているうちに入らない」といった空気まであります。
男子部の場合なら、
「彼は卒業まで地区リーダー止まりで、会社が忙しくて会合も休みがちだったから、たいした信心ではない」
「部長と創価班を経験しなければ、男子部で戦ったとは言えない」
そのような「差別意識」「エリート主義」は、多少なりとも存在しているでしょう。
幹部しか成仏できないのなら、御本尊にはたいした力がないことになり、まさに大謗法です。
南無妙法蓮華経ならぬ「南無役職」です。
あなたが功徳を実感できないのは、信心の歪みが原因なのかもしれません。