21世紀のパイオニア 22ページ 池田先生指導
「八宗の章琉を修学すべし」とは、化儀の広宣流布にあたって、あらゆる学問を身に着け、その学問を駆使して、万人を納得させていく大きい指導力がなくてはならないとの仰せなのであります。
池田大作全集91 117頁より
教育がなければ、宗教は、どうしても独善に陥ってしまう。また盲信に流されてしまう
五老僧の1人日向は、信徒たちに対して、仏典以外の外典を読むことを禁じていました。
信者に外部情報を与えないのは、まさにカルトの洗脳法の王道です。
身延の地頭・波木井が日向にたぶらかされたのも、やはり一般教養が不足し、視野が狭まっていたためでしょう。
もとより、御書には至る所に外典が引用されています。
興師は「原殿御返事」において
内外の才覚無くしては、国も安からず法も立ち難しとこそ有りげに候
明確にそう断言され、仏法以外の学識もなくては、国を統治することも正法を広めることも難しいと教訓されています。
学会は徹底して「教育主義」ですが、それこそが宗開両祖直結の、仏法の本道なのです。
いかに教学があろうと、一般常識に欠けている人間をリーダーに選ぶべきではありません。
もちろんこれは「ご立派な学歴」という意味ではありません。池田先生も大卒ではありません。
創価教育の精神からしても、むしろ社会に出てからいかに学び続けるかの方が大事です。
池田先生も、戸田先生から毎日本を読まされました。
聖教新聞と大白蓮華しか読まないようでは、幹部の資格はありません。
学会活動だけでは、全然不十分です。
世間の人は、意外に本を読んでいます。
この点、むしろ学会の幹部の方が時代遅れになっているようで、とても残念です。
いまだに「ファクトフルネス」すら読んでいないようでは、
「なんだ、学会の幹部と言ってもその程度の教養レベルなのか」
世間からそう思われてしまいます。
都市部では、5%の男性が旧帝大や早慶の出身といわれています。少なくとも彼らに劣らないレベルの会話ができなくてはいけません。
読書を怠っている幹部は「五老僧の末裔」なのです。