蓮祖は聖人御難事の中で、退転者の共通点として
「物をぼへず」
と指摘されています。(1191頁)
師匠に法門を教わっても覚えない、人の話を聞いてもすぐ忘れるということです。
これはもちろん記憶力の問題ではなく、「そもそも話を訊く気がない、覚える気がない」ということです。
信心についての大切な話(連絡・相談)でも、暇つぶしの世間話と同レベルに考えているため、内容を覚えていられないのです。
あるいは、あなたの存在そのものを軽んじているため、あなたの話など覚えるに値しないと思っているのです。
このタイプは、学会の幹部にもけっこういます。
彼らは一様に「指導バカ」で、人の話を聞かず一方的に延々と喋り続ける傾向があり、しかも長話です。
特に自分自身の話は、何時間でも飽きません。
家庭訪問でも、アポなしで突然訪れて、玄関先で何十分も喋っていきます。
彼らは要するに自分が喋ってスッキリしたいだけであり、あなたの話など最初からどうでもいいのです。
折伏も強引なだけで、たいした結果は出せていません。
彼らは独りよがりの演説が好きなだけで、「対話力」がないからです。
教学の理解も中途半端であり、トンチンカンな解釈ばかりしています。
大切な報告を上げても、まるで覚えておらず、こちらとしては無視されたような気持になってしまいます。
それでいて「自分は皆のお手本だ」と慢心しているので、始末に負えません。
組織であるから、一応中心者の顔を立て、守っていくことは当然です。
だがそれは「中心者が中心者としてふさわしい」人格であることが前提であり、そうでない中心者を守れば、かえって組織は破壊されてしまいます。足軽会がよい例です。
大事な話をしても無視される、何度繰り返しても覚えようとしない幹部は、決して相手にしてはいけません。