池田大作全集134巻より
師のもとで、私が教学を学び始めた時、まず「御義口伝」から入ったのである。
法華経を文底から正しく読むには、御義口伝の理解が欠かせません。
五老僧がことごとく裏切ったのは、まさに御義口伝の理解がなかったためです。彼らの末裔はいまだに釈迦牟尼本仏論に迷っています。
ともあれ草創期の学会が、いかに教学を重んじていたかが伺えます。
当時は通解文も無かったので、読み解くだけで大変だったでしょう。
今の創価学会の教学は、試験対策の「インスタント教学」に堕している感を受けます。
幹部を含め、教学が浅すぎます。
そうではなく、初心の青年には、十大部はもとより、御義口伝や早勝問答もしっかり学ばせなくてはいけません。
その上で人間革命シリーズを読了して、ようやく一人前の会員と言えます。我らは「学会」なのです。
役職につけるのは、その先の話です。
教学未熟な幹部が増え続けたら、学会は内部崩壊してしまいます。
「会合屋」や「選挙屋」をどんなに増やしても、広宣流布は空洞化するばかりでしょう。