新・人間革命「獅子吼」より
悪を責めぬき、欺瞞の仮面を引きはがし、学会の真実と正義を叫び続ければ、御聖訓の通り、憎悪と怒りの標的になる。命を狙われもします。
それでも民衆の側に立ち、無冠の獅子として正義のペンをとり続けていくんだ。
命尽きるまで、書いて、書いて、書きまくって死んでいくなら、言論人として本望ではないか。
私も、その決意で日々、原稿を書いている。
世界的に見れば、ジャーナリストが命を狙われるのは当たり前の話です。
日本でも、赤報隊事件で朝日の記者が命を落としています。
もちろん、危険を回避するために最大限の警戒は必要です。それは当然として、言論のために死を賭す覚悟がなければ、記者もたんなるサラリーマンです。ジャーナリストではない。
それなら、もっと楽な仕事を選んだ方がいいでしょう。
まして広宣流布を目指すのであれば、この世のあらゆる危険なカルトを破折することは避けられません。
厳しいようですが、聖教の記者は「職員の中の職員」であり、全員が殉教を覚悟で仕事に当たらなければなりません。
信心以前に、ジャーナリストならば、当然の心がけです。
悪党でさえ命がけ、死に物狂いです。
それ以上の覚悟無くして、正義の勝利があるはずもないのです。