若き指導者は勝ったより
当時(草創期)の会員らの回想。
「いつも会合に、怒鳴られに行くようなもんだった。信仰というのは怒鳴られるものなんだと思っていた」
ほとんどの幹部が号令をかけてばかりいた。自分では動かない。
そのくせ後輩の失敗や欠点ばかりをあげつらい、罵倒した。
池田大作の軌跡2より
幹部の中にも、世知に長けた要領のよい者、世間的な力量のある者、学会でいうところの「世法の強い」者が幅を利かせたことも事実であった。
聖教新聞や潮の連載に、幹部批判ともとられかねない記事が掲載されたことは、それなりに重要だといえるでしょう。
今ではさすがにパワハラのような指導は影を潜めましたが、幹部が自分で動かない官僚主義は、当時と変わりません苦笑
池田先生以外に人物が育たなかったのも道理です。
現場はバカではありませんから、幹部がちゃんと弘教拡大しているか、厳しいお宅を避けずに家庭訪問しているか、新聞啓蒙しているか、あるいは配達しているか、社会常識はあるか、私生活が乱れていないか、ちゃんと見ています。
幹部にふさわしい責任を果たしていなければ、役職が高くなるほど、厳しく指摘されるのは当然です。あなたは全会員のお手本なのですから。
それが怨嫉であるなら、最高幹部を厳しく叱り続けた師匠は全員地獄行きのはずです。
君たち青年は池田先生の弟子なのだから、官僚根性の幹部がいたなら、先生と同様、厳しく叱っていかなくてはいけません。それが師弟です。
学会を「冷たい官僚組織」にしない責任は、君たち青年にあります。
第一、幹部に好かれたところで、役職を山ほど押し付けられるだけです(笑)
今、あなたが兼任だらけで見動き取れなくなっているのは、師弟の戦いを避けているからです。
間違っても、幹部に褒められることが信心の目的ではないのです。