「若き指導者は勝った」によると、池田先生は班長時代、男子部の後輩に、釈迦十大弟子の中でも密行第一の羅睺羅が一番好きだと語っていたそうです。
師の事業が危機にあった時、池田青年は1日6時間もの題目に挑戦されたそうです。もちろん、当時は誰も知りませんでした。
師に命じられたからでもなく、同志に呼びかけてもいません。1人で決意し、1人でやり遂げられたのです。これが信心の本来あるべき姿です。
内容は全く同じでも、自ら望んでやり抜くのと、組織の打ち出しで義務的に消化するのとでは、とうてい同じ信心とはいえません。
「広宣流布のためなら、どんなことでも喜んでやらせていただく」という心に功徳があります。形ではありません。
また、真剣であれば受け身の活動で終わるはずがありません。自主トレしないトップアスリートはいません。むしろ自主トレこそがメインです。
人の数だけ使命があります。ゆえに、成仏への道筋は100人100通りです。最後は自分自身で使命を見出すしかありません。誰にも教えることはできません。
このブログでは青年に「池田大作全集の読破」を推奨していますが、もちろん全員がやる必要はありません。ただ、世界広布のリーダーを目指すなら必須でしょう。すべては使命の自覚によります。
君が「一人立つ獅子王」であればこそ、六万恒河沙の眷属が動くのです。