1950/5/14、池田先生は最初の弘教を達成しました。
入信したのは大田区で小学校の先生をしていた土屋せつ子氏です。
さらに、翌年5/3戸田先生会長就任までに次々と6人に弘教しています。
いうまでもなく、この時期は師の事業が危機にあり、会合に出る時間も惜しんで働いていた時期でした。
そのように厳しい中でも、個人折伏を怠ることはなかったのです。
結局のところ、池田先生が後継者となったのは、「折伏力」に尽きます。
歴代の会長も中心者も、「折伏でどれだけの結果を出してきたか」が、最大の基準となるのです。