1974年9月8日、池田先生はソ連を初訪問されましたが、
実は北条副会長ら学会首脳でさえ反対していたことが、新・人間革命「懸け橋」の章で明かされています。
いわば、組織の反対を押し切っての訪ソだったといえるでしょう。
このエピソードからは、2点の重要な事実が確認できます。
まず、
学会本部には、師匠に対しても遠慮なく反対意見を出せる、民主的な雰囲気が存在していたことです。
世間だけでなく学会員の中にも、学会は池田先生のワンマンで全てが動いているというイメージがありますが、とんでもない誤解です。
仏法における師匠とは、独裁者とは対極の存在なのです。
もう1点は、毎日先生に直接薫陶を受けているはずの最高幹部でさえ、師匠の心を理解できなかったことです。
先生が訪ソに踏み切ったのは、「第三次世界大戦を食い止めたい」という、1個の人間としてのやむに已まれぬ使命感でした、
しかし首脳たちは、宗教否定の共産主義国を訪れたところで、組織には何のメリットもないという打算に支配されていました。
彼らには世界平和など眼中になく、ただ組織の勢力拡大しか頭になかったのです。
池田先生もまた、堕落した幹部と闘い続けてこられたのです。
最高幹部でさえこの程度ですから、おかしな幹部がゴロゴロしているのは当然といえるでしょう笑
一般的な組織論としては、かつての部下、まして故人の失敗を公表することはリーダー失格とされます。
それでもあえて、先生が何十年も前の首脳の実態を、あえて名指しで明らかにされたのは、それだけ仏法が厳しいからです。
最高幹部の狂いは、広宣流布そのものを狂わせてしまいます。その罰は計り知れません。
より責任が重い立場であるほど、ますます謙虚に、師匠を求めていく姿勢を忘れてはならないのです。