釈尊在世当時、ソーナ・コーティカンナという弟子がいました。
彼は辺境の地で修行に励んでいましたが、「直接釈尊の教えを受けたい」という思いから、長旅の末、釈尊の元に辿り着きました。
釈尊は長旅で疲れたソーナをいたわり、翌朝、2人きりで語り合いました。
ソーナは、教団が一律に行っている儀式が、現地の文化にそぐわないことを報告しました。
釈尊はただちに対応し、現地の弟子がもっとも修行しやすいよう、ルールを改めさせました。
これは一見、平凡なエピソードのように聞こえますが、非常に大切なポイントが含まれています。
実は釈尊でさえ、教団ルールが現地に合わないことを自覚していなかったのです。仏も凡夫ですから、不十分なことは沢山あります。
ソーナは、その不満を釈尊に「直訴」しました。
つまり、釈尊の教団では、師匠に対しても自由にものを言える雰囲気があったことを意味しています。
そしてまた釈尊も、弟子の報告を受けて、すぐ失敗を改める謙虚さと柔軟性を持っていたわけです。
当たり前のようでいて、実際にはなかなかできないことです。
仏法上の師弟とは、決して封建的な上下関係ではありません。
青年が老師を尊敬し、また老師が青年を尊敬する姿に、真の師弟があります。