家庭革命より
私の家では、3人の男の子がいる。
お小遣いの投資は、模型と切手だ。戦艦やら航空機で機動艦隊の編成に懸命である。
3人寄れば、いつ一触即発するか分からない。
三つ巴の喧嘩となり、ときには凄絶を極める。ガラスは壊れ唐紙は破れ、空襲を受けたベトナムの民家のようになる。
風呂上がりの体にパジャマを着、ナイト・ガウンをひっかけると、レスリング(プロレス)の選手となる。
布団は絶好のマットで、心ゆくまで技を競うのはよいが、狭い我が家は地震の襲来となる。
これは1965年に発表されたエッセイですが、師匠の家庭と言えど、わんぱく息子が暴れまわる庶民の家庭そのものだったと分かります。
先生奥様も、会員とまったく同じ悩みを抱える、平凡な庶民の父親であり母親だったのです。
それが、末法における成仏ということです。
ありのままの庶民だからこそ、庶民のリーダーが務まります。
飾る必要など、どこにもありません。
凡夫そのものであることこそ、我ら学会員の永遠の誇りなのです。