人間革命10巻によると、昭和31年5月、山本伸一青年(池田先生)は、大阪・梅田近くの座談会を訪れていました。
150人ほどの参加者があり、そのうち30人前後が未入会でした。
池田青年は質問会を開き、参加者の疑問に丁寧に答えていきました。
その結果、ほとんどの人がその場で入信を決意したのです。
大阪支部が、「11111」世帯の弘教拡大を達成したのは、まさにこの月でした。
なぜ、池田青年の指揮する組織では、常に未曽有の拡大が実現したのか?
それは、池田青年自らが折伏の模範を示したからです。
それを幹部が横で見学し、みんな折伏が決まるようになっていったのです。
創価学会の歴史上、最も個人折伏を決めてきたのは、やはり三代会長です。だからこそ師匠なのです。
幹部の第一の役割は、折伏を「決める」ことです。
折伏のお手本を見せることが、最高の人材育成です。
幹部が自ら折伏しなくなれば、ただの官僚組織になってしまいます。
戸田先生の時代、折伏を決められない地区部長は、どんなに頑張っていても、班長に降格となりました。
厳しいようですが、実力主義を徹底しないと官僚化してしまうことを、戸田先生は熟知されていたのです。
今、折伏が進まなくなった最大の理由は、幹部が号令をかけるだけで、折伏を「やらせる」ようになってしまったからです。
幹部がお手本を見せないで、メンバーが折伏できるようになるはずがありません。
やっていないのはもはや論外ですが、10年以上折伏が決まっていない幹部は、やはり交代させる必要があるでしょう。
拡大を急務とする青年部は、特に実力主義を徹底する必要があります。
日本一の結果を出したメンバーが、年齢性別役職学歴問わず、次の青年部長になればいいのです。池田先生も班長からスタートし、圧倒的な折伏の結果を認められて、数年で最高幹部となっています。
創価学会は、永遠に折伏の団体なのです。
創価学会指導集1 168頁より
学会で一番折伏をしたのは私である。
「戸田先生は折伏の師匠である。その弟子が折伏ができずして何ができよう」と決意したのである。
学会から折伏を取ったら何もない。