創価大学を創立された当時、池田先生は自ら大学を訪れることは避けていました。
開学式も第一期入学式も出席されませんでした。
学生や教職員に、主体者としての自覚を促すための、無言の指導です。
また、教育の専門家ではない自分が現場で出しゃばるべきではないという配慮もありました。
しかし、学生からは
「創立者にお会いできなければ、創大に入った意味が無い!」
という声が殺到しました。
最終的には、学生代表の「直訴」によって、学園祭での池田先生の初訪問が決定したのです。
それからは、先生も積極的に創大を訪れ、学生たちと語り合うようになります。
師もまた、弟子の熱意によって変わっていくのです。
仏法における師弟とは、断じて封建的な上意下達関係ではありませんし、そうであってはいけません。
第一、多様な意見を聞き入れてくれないような師匠なら、池田先生がこれほどの弟子に慕われるはずもありません。
師も凡夫ですから、判断ミスを犯すこともあります。戸田先生は生前「天台教学に流れて大罰を受けた」と、常々言われていました。
また、世法上の指導は、時期や相手によっても変化しますので、鵜呑みにするのではなく、常に再解釈・軌道修正が必要です。
まして、これからは弟子が一切の責任を持って立つ時代です。師匠が軌道修正してくれるのを待つ時代ではありません。
ただ打ち出しに従うだけでなく、必要と感じたならば、堂々と意見を出していくべきです。
多様な意見を許容しない組織は全体主義であり、衰退を免れません。
そうさせない責任は、青年にあります。
青年の覇気が組織の惰性を打ち破るのです。