法華経の智慧より
私と牧口常三郎先生とは、この代きりの師匠弟子ではなく、私の師匠の時には牧口先生が弟子になり、先生が師匠の時には私が弟子になりして、過去も将来も離れない仲なのです。
未来対話より
仏法において、師匠と弟子は、一対一の関係でありながら、別々の存在ではない。上も下もない。
師弟は「不二」なのです。
戸田先生も、青年の意見を最大に尊重してくださった。
私は、折あるごとに、「大作は、どう思う?」「大作の考えを聞かせてくれ」と、意見を求められました。
「一青年に過ぎない私のことを、ここまで信じてくださるのか!」
感動の日々でした。ありがたい師匠でした。
世間で師弟というと厳しい上下関係をイメージしてしまいますが、仏法において師弟は不二ですから、上も下もありません。使命は全く同じです。
永遠に法を伝えていくには、常に後継の青年リーダーが必要です。
つまり、仏がみんな同じ時代に生まれてしまったら、仏法は絶えてしまいます。
なので、仏は必ず時代をずらして交代で生まれてくるのです。
師弟というのは、シフトが早いか、遅いかの違いなのです笑
それが分かっているから、仏は師を尊敬するのと同様に、必ず弟子(青年)を尊敬します。
大聖人は当時28歳の若き日興上人に弘教を託し、自らは身延に入られました。
日興上人もまた、当時30歳の日目上人に相乗して総本山大石寺の学頭に任じ、自らは重須に入られたのです。
青年を信頼し、一切を託すことそのものが、仏法です。
本来は学会の会長も、毎回男女青年部から出さなくてはなりません。
特に壮年婦人にとっては、年下のリーダーを尊敬すること自体が仏道修行であり、若返ることにつながります。
釈尊の教団が滅びた理由のひとつは、主な弟子がみな高齢で後継の青年リーダーが育たず、世代交代に失敗したためでした。
仏滅直後から早くも教団は民衆からの乖離が始まっています。
青年を尊敬せず、見下すような師では、師としての資格はありません。
学会には「師匠になりたがる」幹部が多すぎます。
役職が上だから師、下は弟子などということは全くありません。
そもそも、3代会長のような師が、そう簡単に出現するはずもありません。
会長以下、全員が等しく弟子です。
もし今後、学会に、師を自称して会員を見下すような最高幹部が現れたら、断固として永久追放していきましょう!