念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅 カルト撲滅
個人指導も同様です。
ある人には適切な指導も、別の人には不適切である場合があります。
大聖人は、刺客に命を狙われていた金吾に対して外出先での飲酒を諫められ「ただ女房と酒うちのみて」とご指導されましたが、医師にアルコールを止められている人ならば、当然お酒そのものを止める必要があります。
個人指導は「為人悉檀」に当たりますので、相手によってそれぞれ内容が異なり、別の人にそのまま当てはめることはできません。
指導も、仏法上と世法上の区別をつけなくてはいけません。
このうち仏法上の指導は、永遠に変わらないものですが、世法上の指導は、時と場合により、また相手により、常にダイナミックに変えていく必要があります。
さもないと「死んだ指導」になってしまいます。
肝心なのは、お題目によって御本仏から智慧を授かることです。
凡夫の浅知恵で、適切な指導などできません。
広宣流布は、全てお題目の力で進むのです。
※戸田城聖全集より
[質問]:学生ですが、夜八時から珠算塾に通っています。夜の会合にも出たいのですが、どちらがよいでしょうか。
価値判断で決めなさい。珠算で身を立て、珠算を知らぬと将来こまる場合には、塾に行きなさい。
急ぐ必要のないときは、座談会のほうが得、その人の境遇によって価値が変わってくるのです。
池田大作全集96 44頁より
仕事が多忙で、思う存分に学会活動ができない方もいる。
基本は、まず仕事で勝利することだ。
社会にしっかりと根を張り、社会で信頼を勝ち得ていくことが仏法の証明になる。
活動の時間を取れないと罪悪感を覚えるかもしれませんが、信心はあくまで自行化他に渡るお題目であり、それさえ忘れなければ気にする必要はありません。
活動だけ熱心にやっていても、お題目や折伏がおろそかになっていたら、それこそ形式です。そんな人間が幹部にでもなったら、組織が破壊されてしまいます。
大聖人は「宮仕えを法華経と思し召せ」と仰せです。社会で実証を示す部員さんが大勢出てこなければ、広布は進みません。幹部など少数でいいのです。
学生であればもちろん勉学が本分ですし、会社員なら職場で実証を示すことがまず第一です。
そのために忙しくて会合に出られないとしても、それはその部員さんの使命なのです。
池田先生も、戸田先生の事業を支えるため、会合に出られない時期がありました。
病気なら健康を取り戻すこと、独身者が結婚することも使命です。
幹部を育てることだけが人材育成ではありません。あらゆる分野に渡る人材を育てるのが、真の育成なのです。
幹部しか功徳をいただけないのであれば、それはもはや日蓮仏法となんの関係もないカルトです。
あなたは、幹部になるために信心しているのではないはずです。
役職にあなたを成仏させる力はありません。あなたを成仏させられるのは、あくまで三大秘法のみです。
使命の舞台は、一人一人違います。部員さん全員を幹部にしようとしてはいけません。
学会の組織は一応壮婦男女と分かれていますが、これはあくまで方便です。
青年は、放っておけば勝手に成長するというものではありません。
初信のうちほど、経験豊かな壮婦の教えを受けることが必要です。
青年部員だからといって、青年部の訓練だけ受けていても、まったく不十分です。
特に女子部や学生部は、先輩といってもほとんど年齢差もなく、人生経験も多くありませんから、指導力には限界があります。
元職員3人組については、世間知らずという印象を持つ方が多いかと思われますが、やはり学生部の中だけで「純粋培養」されてきたことが大きな原因かと思われます。
狭い世代の中だけで世間が分かった気になっていたら、極めて危険です。
だから、地区が大切なのです。
座談会は、壮婦から青年への信心継承の場でもあります。
壮婦は、青年の前で自ら新来者を折伏し、お手本を示します。
また、青年の折伏を見守り、時にはフォローします。
特に折伏においては、四者の連携が極めて重要になります。
青年部の幹部より、経験豊富な壮婦を呼んで話をしてもらった方がいいケースも多いからです。
家庭訪問においても、同世代が行くより、地区の婦人部に話をしてもらった方がいいケースも少なくないはずです。
もちろん壮婦なら誰でもいいわけではありません。惰性に流され、折伏を忘れてしまった壮婦も大勢います。
本当に信頼できる壮婦を見極めるためにも、常日ごろから座談会に出席する必要があるのです。
会合とは、すべて折伏のための訓練です。
トップアスリートには、必ず経験豊富なコーチがついています。
壮婦の薫陶無くして、真に力のある青年は育ちません。
壮婦の中から折伏の達人を厳選し、彼らを「折伏メンター」として、青年部や学生部のホープをマンツーマンで訓練するシステムがあってもいいように思います。
壮婦の第一の使命は「青年を育てる」ことなのですから。