御書には「強いて説き聞かせよ」とあるものの、「強いて入信させよ」などとはどこにも書いてありません。
折伏は、入会の勧誘ではないのです。仏法を語ることが折伏なのです。
もともと御在世当時の法華宗は精鋭主義でした。特に御本尊は、全てが大聖人の御真筆であり、強情な信徒にしか授与されませんでした。
弟子の大尼が御本尊授与を願い出たものの、一度退転したことを理由に断られた記録もあります。
この精神からすると、入会を渋っている人に強引に本尊流布することは、本来の折伏に反していると言わざるを得ません。
そのような成果主義の勧誘では、「大聖人の魂」である御本尊を粗末に扱うことは目に見えています。そうなれば入会した本人も、紹介者も、共に大罰を受けることは免れません。
今現在、信仰の必要性を感じていない人まで、入会させてはいけないのです。
そういう人には、仏法を紹介するにとどめておけばいいのです。聞法下種も発心下種も功徳は同じです。
池田先生が、識者との対談で、入会を勧誘するでしょうか?
確かに聞法下種だけでは成果になりませんし、幹部にするわけにはいきませんが、あなたは幹部になるために信心しているのではありませんから、気にしなくて結構です。
なお、仏法を語るのに創価学会の宣伝をする必要はありません。
したがって、
学会員であることを伝えなくても折伏はできます。
「どうしてそんなに仏法に詳しいのか?」と訊かれたら、その時に学会員だと伝えればいいでしょう。
逆に、深い悩みを抱えている人に対しては、一刻も早く御本尊を保たせる必要がありますので、入会を薦めなくてはいけません。
もちろん断られることが大半ですが 、功徳は同じです。
あなたはあなた自身の宿命転換のために折伏しているのです。だったら、何を言われようと腹を立てる理由はないでしょう。
また、幹部の場合は、深刻な悩みを抱えた人への緊急性の高い折伏現場に入ることが多いので、本尊流布の経験は欠かせないと思います。
やるやらないはむこうの自由です。なにも創価学会へ引っぱりこんでしまわなければ、折伏にならないなどと考えなくともよろしい。
御本尊を受けさせなくても仏様の尊さを賛嘆することが、折伏なのです。そうすれば気が楽になるでしょう。
六軒も七軒もしなくていいから、一人でよいから、ほんとうにありがたいということをわからせて持たせなさい。
(戸田城聖全集より)