1990年4月20日青年部幹部会でのスピーチより
釈尊は入門させるやいなや、すぐに弘教を命じた。
「1人で行って、法を説いてきなさい」ただちに「遊歴教化せよ」と。
弘教には、一切の修行が含まれている。これ以上の人間修業は無い。
ゆえに、この根本の実践を忘れては、人間の練磨はない。
「人間」が成長しなければ、組織の力のみに頼るようになる。そこから、さまざまな組織悪が生まれる。
徹底した弘教の実践こそ、仏法の生命である。
それが釈尊の教えであり、なかんずく御本仏日蓮大聖人が、身命を賭して門下に示された成仏への直道なのである。
この信心は、折伏をしなければ本当の功徳はありません。
会合に出ているだけでは無意味です。
信心する以上は、せめて年に1世帯の本尊流布を目指したいところです。
幹部であれば、それに加えて、部員さんに折伏をさせることを目標にしましょう。
人材育成とは、まず「功徳を受けさせる」ことです。それが、その人の原点となるからです。
そのためには、折伏に勝る修行はありません。折伏を教える以上の慈悲は無いのです。
ただし、決して成果根本になってはいけません。聞法下種も発心下種も功徳は同じです。「語ることが勝利」です。
話しやすい人にしか語らないというのは、要領です。聞く耳を持たない人に「強いて説き聞かす」からこそ、修行になります。
なかなか成果にならない折伏こそ、功徳が大きいのです。
折伏力は個人差が極めて大きいので、中には、10年20年と対話を重ねても、1世帯も本尊流布に至らないメンバーも必ず出てきます。
確かに、そういう人を幹部にするのは困りますが、そのメンバーには「幹部になる以外の使命」があるのです。
全員を幹部にしようとしたり、成果が出ないからと言って見下すのは、大きな間違いです。
折伏が苦手だったら、その分仕事で実証を示そうとか、教学を磨こうとか、自分の強みを活かして弱点をカバーできるように努力すればいいのです。桜梅桃李です。
自分の使命は、自分で決めていけばいいのです。