日顕宗の機関紙によると、今年の初登山の参詣者は、公称「1万7420余名」でした。
法華講員5割増を打ち出した2009年に比べると、増加どころか、約3割も減少しています。
このペースでいくと、今世紀半ばには参詣者がゼロになる計算です。
数字の上では折伏が進んでいるはずですが、実態はむしろ教団消滅の危機に瀕していることが明確になりました。
日顕宗といったら、過酷な折伏ノルマで知られています。
ほとんど言葉も通じない外国人観光客を無理やり受戒するなど、数合わせのでたらめな「折伏ごっこ」が横行しています。
行方不明の幽霊講員も大量にいるとされています。
さらに、登山は全講員の義務とされているので、往復の旅費負担や、長時間のバス移動による体力の消耗もバカにならず、ますます登山離れが進んでいます。
折伏とは、仏法対話のことです。入る入らないは相手が決めることであり、当人の意思を無視して無理やり入信させたところで、功徳などあるはずがありません。
聞法下種でも発心下種でも功徳は同じです。つまり、功徳は成果ではなく対話数で決まります。
「入信させないと功徳が無い」などという考えは、仏法ではありません。
まして、大石寺が登山を義務化したのは日顕の代からであり、仏法の本義とは何の関係もない行事です。
当然、大聖人の御在世当時でも、身延への登山会が行われていた記録はありません。
登山しないと成仏できないのなら、登山費用の無い人や、体力的に移動に耐えられない人は、どんなにお題目を唱えても成仏できないことになってしまいます。
登山と成仏が関係ないなら、義務化する必要は無いはずです。
まさに登山カルトです笑
大石寺の衰滅は、法理を無視した「法主根本」「成果根本」「登山根本」のなれの果てなのです。