一生成仏抄には「日夜朝暮に怠らず」とありますので、
お題目は本来「1日中でも唱えるべき」であると考えられます。
そもそも人界の衆生は、南無妙法蓮華経を唱えるために、この世に生み出されたのです。
短時間の唱題では、なかなか生命が大宇宙と一致してきません。できれば毎日数時間は唱えたいところです。
朝晩の勤行だけでは、十分に唱題することは難しいと思います。
そこで、通勤通学や入浴中など、1人になれる場所があれば、できるだけお題目を唱えることをお勧めします。声を出せなければ心で唱えるだけでも功徳はあります。
もちろん正式な勤行のように集中するのは難しいと思いますが、全く祈らないよりはるかにマシです。
ただし、お題目は決して「苦行」であってはいけません。
唱えたくて唱える題目は、一遍でも無限の功徳がありますが、義務感で嫌々唱える題目は、どれだけ長く唱えても功徳はありません。
100万遍の唱題も、自分で決意してやるのは功徳がありますが、やらせるのは無意味です。
大切なのは「心が御本尊に向かっているかどうか」です。
池田先生は、疲れている時は題目三唱だけでも良いと指導されています。
端的に言うと、勤行したくないときはしない方がいいのです。
その分、体調のいい時に、集中して祈ればいいのです。
ともかく「可能な限り祈る」とさえ決意していれば、厳密なノルマで自分を縛る必要はありません。正しい宗教は人間を自由にするものです。
自分自身が「これ以上は祈れない」というところまで祈り切れれば、それが勝利です。
形式ではなく「南無妙法蓮華経を唱えたい」という心に、無限の功徳が具わるのです。