念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅 カルト撲滅
個人指導も同様です。
ある人には適切な指導も、別の人には不適切である場合があります。
大聖人は、刺客に命を狙われていた金吾に対して外出先での飲酒を諫められ「ただ女房と酒うちのみて」とご指導されましたが、医師にアルコールを止められている人ならば、当然お酒そのものを止める必要があります。
個人指導は「為人悉檀」に当たりますので、相手によってそれぞれ内容が異なり、別の人にそのまま当てはめることはできません。
指導も、仏法上と世法上の区別をつけなくてはいけません。
このうち仏法上の指導は、永遠に変わらないものですが、世法上の指導は、時と場合により、また相手により、常にダイナミックに変えていく必要があります。
さもないと「死んだ指導」になってしまいます。
肝心なのは、お題目によって御本仏から智慧を授かることです。
凡夫の浅知恵で、適切な指導などできません。
広宣流布は、全てお題目の力で進むのです。
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