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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

第六天魔王の役割とは

もし、「スイッチを入れるだけでクリアできるゲーム」が売られていたら、あなたは買いますか?

おそらく、誰一人買いたい人はいないでしょう笑

もし、ラスボスのゾーマをメラ一発で倒せたら、ドラクエ3はクソゲーだったはずです笑

ゲームは、難しいからこそ面白いのです。人生も同様です。



何の困難も障害も無く、100%目標を達成できるとしたら、その人生は退屈の極みです。

もし空腹を感じない人がいたら、食欲も失い、何も食べようとしなくなるでしょう。

同様に、何の苦労も無い人生では、かえって生きる気力を奪われてしまいます。

困難や障害は、あなたに生命力を与えるために不可欠なものなのです。

御本尊に第六天魔王が記されているのは、それが大宇宙に必要な役割だからです。

天魔とは、人生を楽しくするための「隠し味」なのです。



ただしもちろん、難しいだけですぐゲームオーバーになってしまったら、面白くありません。

隠し味は、それ自体が主役になっては、かえって料理をブチ壊してしまいます。

ゲームには、クリアに役立つ様々なアイテムが登場します。

このアイテムに当たるのが、いわゆる諸天善神です。

ゾーマと戦う時は、「光の玉」で闇の衣をはぎ取り、「賢者の石」でダメージを回復させながらだったはずです。

どんなに魔が強くても、それ以上に諸天の加護が強ければ、人生は充実したものになり、結果として最高の達成感を得ることができます。



また、目標が低すぎてすぐに達成してしまったら、すでにゲームクリアであり、もはや生きる意味はありません。

個人的・小市民的な幸福をゴールとする人生は、必ず行き詰まります。

例えば「1億円稼ぐ」をゴールとした場合、稼いだらあなたの人生は終わりです。残るは死ぬことだけです。

「子どもを育てる」でも「孫の顔を見る」でも、ゴールしたら終わりなのは同じです。最後は目標を失い、ただ死を待つだけの余生となります。



その点、広宣流布という大願には、決して行き詰まりがありません。

広布においては、永遠に後継の青年を育て続ける必要があります。そこにゴールはなく、人生最後の瞬間まで、充実した「ゲーム」が続きます。

死が近づけば近づくほど、大きな差が出ます。

個人的な欲を卒業することが、個人を絶対的に救うための、唯一の道なのです。




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