家庭革命より
流行の起し手は、いつでも、健康的で優れたデザイナーや、認識の豊かで指導的能力のある人であるとは限らない。
売ることが目的の繊維会社であったり、デパートであったりすることもあるということを知っていなければならない。
なんでも流行だからといって飛びついてゆくのは、軽薄で無知な人間といわれてもやむを得ない。
流行にはとらわれることなく、自分の個性を生かすことにそれを利用し、より以上生かすようにつとめていくべきであろう。
流行は、知識として知っておくことが必要である。
個性に応じて生活の中で充分に消化しきっていただきたいと思う。
グローバルなファッショントレンドは、数年前からすでに決まっており、周到に準備されていることはよく知られています。
そもそも、計画が無ければ量産体制が構築できません。流行ってから工場を建てていたら間に合わないのです。
そしてビジネスである以上、消費者にはどんどん買い換えてもらうのが理想です。
まだ十分に着られる服でも、流行遅れとしてどんどん廃棄して、常に最新の服を買ってもらうことが、メーカーにとっての理想なのです。
こうした戦略に乗せられるのは、消費者としてあまりにも愚かであり、そもそも自分に似合う服を理解していない証でもあります。
もちろん繊維の進化などにより、本当に有益な流行も発生します。ゆえに流行に流されるのでも、反発するのでもなく、本質を見極めて聡明に乗りこなしていくのが、正しい距離感です。
学会においても最近では洋室にマッチする家具調仏壇が流行っています。青年の多くが洋室で生活している今日、仏壇のデザインも多様性がなくては時代に取り残されてしまいます。
「私の部屋にもこんなかわいい仏壇を置きたい!」
そのような仏壇をデザインするのも、折伏の一環です。
ファッション・美の価値もおおいに創造していくのが、大乗仏教の精神なのです。