随筆人間革命より
私は、自分の卑屈さを、直すために努力したものだ。
豪放磊落そのものの戸田先生にも、卑屈さを克服するために努力された時期があったのです。
師匠も我ら弟子と変わらぬ凡夫であり、生まれながらの完全な人間などではありません。
カルトはとかく教祖を神格化したがりますが、教祖を神(メシア)と規定した瞬間、信者との間に絶対的な差別が生じてしまいます。
カルトにおいて、信者は教祖の手段に過ぎません。
創価における「師弟」は、その対極にあります。
極論すれば、師匠こそが弟子の「手段」です。
主役は、あくまで君たち青年です。
師の教訓を全て糧として、師を超える歴史を築いていくことこそ、君たち青年の特権であり使命なのです。