バラモン教にはもともと、悟りを開く聖者ブッダが出現するという未来神話が存在していました。
ゴータマ・シッダールタつまり釈迦は、その神話に便乗して自らブッダを称し、スムーズな布教に成功しました。
すなわち当初の釈迦は、あくまでバラモン教の世界観の中で活動していた人物であり、バラモン教そのものを最初から否定したとは言えないのです。
むしろ、バラモン教の改革者とするのが実態に近いでしょう。
その証拠に、因果応報や六道輪廻、カルマといった教義の基盤は、そのまま受け継いでいました。
ともあれ三世の生命を説くに至っていた時点で、外道においてはバラモンが当時最高の教えだったと見ることもできます。
もちろん、釈迦がバラモン教を借用したのは方便でした。最終的には法華経本門で「久遠実成」を説き、一切衆生が久遠からすでに成仏していることを明かしています。
つまり若き日の釈尊は菩提樹の下で、「もともと悟っていたことを思い出した」のであり、それが悟りの正体だったのです。
これはバラモンのカルマ説を根本から否定しており、法華経本門において、仏教はようやく完全に独立した世界宗教として「立宗」したといえます。
厳しく言えば、迹門はまだバラモン教です。それが当門流において本迹相対が厳しく説かれている理由です。方便本を読むのはあくまで所破のためです。
日本人はバラモン教と直接接してきた経験がないため、仏経がどれほどバラモンに汚染されているかを自覚していません。
仏教徒のつもりで、中身はバラモンを行じている者がほとんどです。
真に仏法を学ぶのであれば、外道の教えにも精通し、その高低浅深を見極められなくてはなりません。
さもなくば方便と実相の区別もつかず、自分が迷うどころか後輩たちまで地獄に導いてしまうでしょう。