法華経の行者の祈りは「誓願」であり、断じておまじないや神頼みではありません。
もし、拝むだけでチチンプイプイと願いが叶うなら、折伏も学会活動も不要です。
毎日10時間唱題さえしていれば、自動的に広宣流布が進み、働かなくてもお金が入ってくることになります。
もちろん、そんなことはあり得ません。
仏法対話も、教学も、日々の仕事も、全て法華経の修行です。
その修行を怠るならば、あなたはもう法華経の行者ではありません。
したがって、どんなに題目を挙げようと功徳は無いのです。
仏法は、現実逃避のカルト思想ではありません。
最高の生命科学であり、現実主義なのです。
妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法あり と思はば全く妙法にあらず 粗法(そほう)なり
一生成仏抄