法華経の智慧より
日寛上人が仰せのように、題目には「信の題目」と「行の題目」がある
同じように題目を唱えていても(唱えるのは「行の題目」に当たる)御本尊の功徳を「確信」しているかどうかで、結果は変わってくる。
この「信の題目」が大切なのです。
池田大作全集100 377頁より
同じ題目をあげるのでも、深さで決まる。数だけではない。
お題目そのものは、身延でも日顕宗でも唱えています。しかし功徳はありません。
「行」があるのに功徳が無いのは、「信」に狂いがあるからです。
身延は五老僧を根本とし、日顕宗はまさに日顕が根本です。
三大秘法の生みの親である日蓮大聖人を根本とした祈りにのみ、功徳が現れます。
その上で、絶対の確信をもって祈ることです。
お題目を唱えれば、大聖人の生命があなたにも現れます。大聖人の法力・通力が、あなたにも乗り移ります。
であれば、叶わぬ祈りなどあろうはずもありません!
「いくらお題目でも、そこまでの功徳があるはずがない」
そのような不信の生命こそが、あなたの成仏を阻んでいる魔なのです。