題目には「読」「誦(じゅ)」の2種類があります。
読とは、御本尊に向かってお題目を唱えることであり、誦とはその場でお題目を唱えることです。
戸田先生は、
この2つの功徳は同じであると述べられています。
そもそも、立宗より約18年間、大聖人が御本尊をご始顕される以前は、全て誦の唱題でした。
つまり当時の法華衆は、御本尊が無くても、お題目だけで成仏していたはずなのです。
ご
始顕の後も、御本尊をいただける信徒は限られていました。
御在世当時の御本尊は全て大聖人の御真筆ですから、全信徒に与えることは物理的にも不可能でした。
今日のように、全世帯に御本尊が御安置できることを、決して当たり前と思ってはいけないのです。
戸田先生だって、もちろん牢獄に御本尊をご安置することは叶いませんから、独房の冷たい壁に向かってお題目を誦していたわけです。
その中で、地涌の菩薩としての使命を覚知されたのです。
「お題目の時間が取れない」
などと嘆く前に、どこでもいいから、お題目を誦してください。
声を出せない場所なら、心で唱えればいいのです。
移動中、風呂場、寝床、時間はいくらでもあります。
生活の場一切が、道場なのです。