釈尊在世当時、インドにある貿易商がいました。
ある時、この貿易商は自らの船に舎衛国の商人たちを乗せました。
彼らは航海中、毎日朝晩何かを唱えていました。
何を歌っているのか訪ねると、商人たちは
「歌ではなく、仏の教えです」
と答えました。
つまり、釈尊の在世から、在家信徒であっても「勤行」をやっていたのです。
今日、我ら法華信徒が朝晩法華経を唱えるのは、まさに仏法修行の王道なのです。
とはいえ、勤行本来の意義を考えると、意味も解らず唱えるのは望ましくありません。
江戸時代までは、僧侶は言うまでもなく、知識層は漢文が読めて当然でした。
したがって、漢文のお経も、意味を理解した上で唱えていたことになります。
今日では、現代語訳の法華経を読むことも考慮すべきでしょう。
戸田先生は「鳩摩羅什を超える訳が現れたら、そちらの法華経を用いても良い」と指導されています。
必要ならば、創価学会教学部で作成してもいいでしょう。
ちなみに、この貿易商はさっそく
舎衛国を訪れ、釈尊に会うことができました。
説法を聞くと直ちに弟子入りし、巨万の富を投げ捨て、仏道修行に励みました。
この貿易商こそは、十大弟子の1人である富楼那なのです。