世間で仏法というと釈迦ですが、日蓮の仏法は、釈迦とは大きな違いがあります。
釈迦の仏法では、宿業を背負って生まれてくるのは、過去世の悪業の報いだとしています。
これは基本的に避けられませんので、いくら熱心に修行しても、今世のうちに幸福になることはできないのです。
さらに「不幸は全て自己責任」という考え方では、困った人は助けなくていい、助けてしまえばいつまでも過去世の罪が消えないということになります。
だったら、もちろん福祉は全廃しなくてはなりません。医療保険も年金も廃止です。弱肉強食の、無慈悲な社会になってしまいます。
ですから、釈迦の説いた因果応報は、今日では危険思想であり、禁じられなくてはならないのです。
それに対して日蓮仏法では、宿業は自ら望んで背負ってくるものだと説いています。(願兼於業)
末法は、釈尊に見捨てられた罪深い衆生が集まる時代です。
彼らを救うには、自らも末法に生まれる必要があります。
そこであなたは、本来は成仏の資格があるにもかかわらず、あえてそれをかなぐり捨て、重い宿業を背負って末法に生まれてきたのです。
それほど尊貴な菩薩が困っているのを見捨てるのは、罪深いことです。だから福祉が必要なのです。弱者は助けなくてはいけないのです。
あなたは、どちらの思想が正しいと思いますか?