蓮祖は佐渡から鎌倉へ凱旋されましたが、まもなく身延に入られています。
弘教の拠点とするなら、人口の多い鎌倉に留まるのが合理的に思えます。
それでもあえて気候も厳しく、物資も手に入りにくい身延に移られたのは、まず身の安全を確保するためだった可能性があります。
赦免となっても、蓮祖を憎む念仏者はいくらでもいます。
鎌倉は人が多いため、刺客がどこに紛れ込んでいるか分かりません。
しかし身延の山奥なら、そもそも人が少ないので、不審者が現れたらすぐに気が付きます。
また、当時の僧侶は小僧時代から山で修業しているので、山中であれば武士より早く移動できます。平地であれば馬で追われればどうにもなりませんが、山中では馬も早く走れません。
まして刺客に土地勘はありませんから、仮に襲撃されても、その場から逃げる余裕を確保できます。
本師も凡夫であり、祈っているだけで危険を避けられるなどということはありえません。
人一倍の用心あればこそ、諸天の加護があるのです。