蓮祖は、佐渡から戻られて早々に身延に入られました。
これは一見「隠居」に見えますが、まさに「そう見せかける」ことが目的だったのかもしれません。
具体的には、引退を装って幕府を油断させ、監視が及ばない山中で、密かに弟子を育てようとされたのでしょう。
最晩年には「常陸の湯」で湯治するために下山されましたが、この「常陸の湯」がどこにあったのか、いまだに不明なままです。
むしろ、目的地は最初から池上邸で、湯治を名目として最後の指導に向かわれたと考えるべきではないでしょうか。
現代では想像もつかない厳しい弾圧の中、創意を尽くして広布の戦いを貫かれたのです。