※「ブラックジャックによろしく」より
ただいまに霊山にまいらせ給いなば・日いでて十方をみるが・ごとくうれしく、とくし(死)にぬるものかなと・うちよろこび給い候はんずらん
妙心尼御前御返事(御書1480頁)
これは病身で余命わずかな夫を抱えた婦人に与えられた御文です。
本来、死は「人生の完成」であり、決して忌み嫌うべきものではありません。
どれほど医学が進もうと、平均寿命が1000歳に延びようと、臨終のときは必ず訪れます。
もし、死が敗北なのだとすれば、一切衆生は「負けることしかできない」存在ということになり、この世は永遠の地獄です。
死に向き合うことを忘れているところに、現代文明の最大の欠点があります。
「いかに良く死ぬか」
そのために宗教があり、仏法があります。
この信心を貫けば、早すぎず遅すぎず、最も良いタイミングで、最も少ない苦痛で、人生に何の悔いも残さず、霊山に旅立つことができます。
もちろん全員が長生きするとは限りません。しかし、人生の価値は長さだけで決まるものでありません。
使命に応じて、それぞれ「ちょうどよい寿命」があり、それは人それぞれに違います。
スポーツ選手が、現役が長いだけで評価できないのと同じです。
肝心なのは成仏できるかどうかです。たとえ短い人生でも、使命を全うしたならば、それは「勝利の死」なのです。
御書の世界第3巻より池田先生指導
仏界の生死であれば、自分が生まれたいところに、生まれたい時に、生まれたい姿で生まれることができる。
死もまた自在です。
亡くなっても「須臾の間に」つまり「たちまちに」現実世界に還ってきて、衆生利益の戦いを開始すると大聖人が仰せです。