人生の座標より
悪なくして善はなく、善なくして悪なし
悪も、対応のいかんによっては善に転じ得るのだという点では、可変的実在なのである。
御書の世界第3巻より
妙法の偉大な力は、悪をも包み込み、むしろ、悪を善の開発の縁にもしていくことができるのです。
蓮祖は日本を侵略してきた蒙古国を「隣国の聖人」「天の御使」と呼ばれています。
もちろん侵略戦争は世法の次元では「大悪」です。しかし、仏法の次元では蓮祖を弾圧する日本国を罰するので、「極善」に転じるのです。
健康な人を間違って手術したら大悪ですが、命を救ったら大善です。
ゆえに、小悪小善にとらわれることなく、常に「法華誹謗」という極悪と戦うことに集中しなければならないのです。
善と悪とは無始より左右の法なり
治病大小権実違目