法華経の智慧より
信念も「理性」と「事実」による検証を受けなければ、自分の中の主観で終わってしまい、他に対する普遍性をもちません。
仏の悟りは理性が及ぶところではないとしても、少なくともその悟りは理性に敵対し、理性的批判を拒絶するものではないのです。
理性の働きを最大に尊重していくのが大聖人の仏法なのです。
創価学会は古今東西の思想哲学を研究した上で、日蓮仏法が唯一最高の教えだと結論しています。
だから「学会」なのです。
「自分が信じているから正しい」という態度は、単なる妄信です。理性・知性の否定です。それは人間性そのものの否定です。
インドでは、神に対する絶対的な信心として「バクティ」という単語が存在しますが、仏経典にはほとんど用いられていません。
それに代わるのはアディムクティ(信解)などです。
真の信仰は信解、つまり「確信」でなくてはなりません。
理性や知性を否定して、仏法はありません。
日蓮仏法は一切の宗教と次元が異なります。まさに21世紀の世界宗教なのです。