日蓮は「大白牛車御消息」の中で、鳩摩羅什の漢訳法華経では大白牛車の様子が略されていると指摘し、梵文法華経を参照して大白牛車を描写しています。
すなわち、鎌倉時代にはすでに漢訳だけでなく梵語の経典も日本に伝わり、漢訳と並行して研鑽されていたのです。
宗教学者たちは「日本には明治まで原典は伝わらなかったため、日本の仏教は釈尊の真意を伝えていない」などと主張していますが、これは彼らの浅学です。
実際には漢訳だけでなく原典の研鑽も進められ、その上で大乗仏教各派が興隆したのです。
おそらく当時の僧侶は、漢語だけでなく梵語も読めて一人前だったのでしょう。
日蓮も、あらゆる経典を梵漢両語で読破した末に、法華宗を立てたのです。