法華経の智慧より
釈尊が提婆達多に勝ったからこそ、提婆の「悪」が釈尊の「善」を証明することになった。
悪に負けてしまえば、提婆が善知識であったとは、とても言えない。
自然のままに放置しておいて、悪が善になるのではない。
悪と戦い、完膚なきまでに打ち勝って、はじめて善悪不二となるのです。
「勝者」の境涯の高みに立ってはじめて、提婆が過去の善知識であり、自分の師匠であって、今世で自分の化導を助けてくれたのだと言えるのです。
成仏するには「内なる悪」に勝利しきらなければならない。
そのためには具体的には「外なる悪」と戦い、勝たねばならない。
極悪と戦うから、極善となるのです。
勝ったからこそ仏なのです。
「善悪不二」とは、悪をそのまま認めることではない。
悪と断じて戦い、打ち破って、悪をも善の味方にしていくことです。
仏法は勝負だ。負けたのでは、現実には、善悪不二ではなく、善が悪の奴隷になってしまう。
断じて勝ってこそ、悪知識をも善知識にしていけるのです。
提婆は妙法蓮華経の別名なり
御義口伝