新・人間革命「仏法西還」より
身、口、意の三業の積み重ねが、宿業となるのです。つまり、どのような行動をし、何を言い、何を思い、考えてきたかです。
ここで大事なことは、死後も、宿業は消えることなく、来世まで続くということです。
ゆえに、自殺をしても、苦悩から解放されることは無いのです。
それでは、その宿業を転換し、幸福を実現する方法はあるのか。
あります。それを、末法の私たちのために説いてくださったのが日蓮大聖人です。
御本尊への唱題であり、折伏です。
本来、何度も生死を繰り返し、長い苦悩を経て、少しずつ宿業を消していくところを、今生で過去世の宿業をことごとく転換し、成仏しているのです。その証明の一つが臨終の相です。
更に、その証明として、残された家族が、必ず幸福になっています。
苦悩を背負ったまま亡くなった先祖は、どうしているかというと、既に生まれ、宿業に苦しんでいることもあれば、まだ、生まれていない場合もあるでしょう。
宿業のいかんによっては、畜生、つまり動物に生まれることもある。
しかし、先祖が何に生まれ、どこにいて、いかに苦しんでいても、生者が正しい信仰をもって、その成仏を願い、唱題していくならば、それが死者の生命に感応し、苦を抜き、楽を与えることができる。
畜生などに生まれれば、自分では題目を唱えることはできないわけですから、私たちの唱題だけが頼みの綱になります。
したがって、先祖を供養するには、真剣に唱題する以外にありません。お金を出して、塔婆を何本立てれば成仏できるというものではない。もし、そうだとするなら、金の力で成仏できることになってしまう。
信心を全うし、成仏した人は、死んでも、すぐに御本尊のもとに人間として生まれ、引き続き歓喜の中、広宣流布に生きることができる。
この世で南無妙法蓮華経を唱えられるのは、われわれ人界の衆生だけです。
畜生は一生頑張っても、お題目を唱えることはできません。犬はワンワンだし、猫はニャーです。
大宇宙は、南無妙法蓮華経を唱えさせるために、人界の衆生を生み出したのです。
人類の知能が高いのも、仏法を信解できるようにするためです。
この使命を果たさないのであれば、自在に動く口も、高度な智能も必要ありません。したがってその人は、来世は畜生に生まれてきます。
かろうじて人間に生まれたとしても、念仏など謗法の家に生まれ、堕地獄の因を積んでしまいます。
お題目を唱えることが、来世も引き続き人間として生まれ、成仏するための、最大の因なのです。