法華経の智慧より
それら(阿弥陀、大日、毘盧遮那)は、与えていえば、釈尊が師とした「永遠の法」即「永遠の仏陀」に迫ろうとした結果と言えるでしょう。
その限りでは、「久遠の本仏」の仏身を部分的に表現していると見ることもできる。
阿弥陀仏の身体は、この宇宙(直径930憶光年)よりもはるかに大きいとされています。
これは、仏法が三千大千世界の一切を包んでいるという比喩の一種なのでしょう。
つまり、阿弥陀も大日も毘盧遮那も、譬えとして立てられた仮の仏に過ぎないのですが、その仮の仏を根本としてしまったところに、他宗の誤りがあります。
仏像は蓮台(大きな蓮華)の上に坐って(立って)います。
これこそ、一切諸仏が妙法「蓮華」経の力によって成仏したことを表現しているのです。