希望対話より
みずからの命を絶った人が、それまでに、どれほど悩み苦しんだか。
どれほど「生きたい」と願っていたか。
誰が好き好んで自殺しますか!
誰が「自分の命が大切でない」人がいますか!
それなのに、どうしても生きていられなかった、その苦しさ、悲しさ、ズタズタにされた心。
それを、生きている間、周囲は分かってあげられなかった。
せめて死後くらいは「分かろう」としなければ、あまりにもむごい。
それなのに、「自殺した人は、命の尊さを知らない」といわんばかりに扱われたら、死んだ彼が、あまりにも可哀想だ。
生きている時も、分かってあげようとせず、死んでからも、悪いことをしたかのように裁いている。あまりにも冷たい。
「友がいなくなって、さびしくてたまらない」と、落ち込むことが正しい。それが人間です。
自殺がいいとか悪いとかの問題にすり替えてしまうと、一番大事な「人間しての情」が、どこかへ行ってしまう。
生命は永遠であるから、苦しみから逃れようとして死んでも、苦しみは続く。
自分を傷つけたことで、いよいよ苦しみが重くなってしまう。