法華経の智慧より
(人生は)寿命の長短ではありません。どう生きたかです。何をしたかです。
今世で仏の境涯を開き、固めた人は、それが永遠に続く。
いくら長生きしても、年月を無為に過ごして使命を果たせなければ、臨終は地獄です。
逆に、若くして亡くなる場合でも、使命さえ全うしていれば、所願満足の臨終を迎えられるのです。
法華経を信じていても、早く亡くなる人はもちろんいます。だからといって成仏できないとか、信心が足りないというわけではありません。
ブルース・リーは32歳の若さで亡くなっていますが、彼の功績を認めない人は誰もいないでしょう。短い人生の中で、何百年分の仕事をやり遂げたと言っても、過言ではありません。
同様に、信心を貫いた青年は、若くして亡くなる場合でも、一生分の使命を全うし、所願満足の境涯で霊山に旅立つことができるのです。
戸田先生は
「重病は治るか、死ぬかである」
そう指導されていました。
つまり、宿業が軽い場合は、不治の病ですら信心で完治します。
宿業が非常に重く、80歳まで病に苦しみ続けなければならないような場合は、信心が強情であればもっと早く亡くなり、罪障消滅してすぐに健康な身体で生まれてくるのです。
もちろん、使命は全うできるので、臨終に悔いを残すこともありません。
ただし、本人や家族にとって早く亡くなることは功徳なのですが、凡夫には死魔に敗れたように見えるので厄介です。
幹部は組織に動揺が広がらないよう、戸田先生の指導を改めて語っていく必要があるでしょう。