方便品壽量品講義より
娑婆世界というところは、ほんとうは、われわれが遊びに来たところなのであります。
楽しむためには、苦しみというものが、ちょっぴりなくては、楽しみの味は出てこない。
塩っぽいものがあってこそ、甘いものの味がわかる。
甘いものだけではダメであります。
宇宙最大の謎は
「何のために宇宙が存在しているのか」
です。
宇宙など、存在しなくても誰も困らないはずです。その場合、そもそも衆生が存在しないわけですから笑
仏法では、この世は衆生が遊楽するための場所であると考えます。
宇宙が無いと「つまらない」ので、宇宙という場を設けて、衆生がそれぞれに遊楽する「レジャーランド」としたのです。
「とにかく眠るのが好きだ」という生命は、意識は必要ないので、植物として生まれてきます。
「空を自由に飛び回りたい」という生命は、鳥に生まれてきます。
「泳ぐのが気持ちいい」という生命は、魚に生まれてきます。
しかし、同じ肉体が永遠に続くと飽きるので、それぞれ適当に寿命が定められていて、定期的に別の肉体に生まれます。
題目も折伏も、本来は最高の遊楽なのです。
祈る時には、理想の未来をイメージするでしょう。これほど楽しいことはありません。
その上、祈りが実現するわけですから、楽しくて仕方ありません。
ただし、全ての祈りが簡単に叶うとかえってつまらないので、適当に魔が競い起こるのです。
義務感で祈るのではなく、あくまで楽しくお題目を唱えなくてはいけません。そうでなくては続きません。
折伏にしても、邪宗を破折するのは、この上なく楽しいものです。
信心しているのに歓喜が無いのは、折伏をサボっているからです。悪を責めないからです。
仏法は勝負ですから、法論に勝てばどんどん生命力が強まります。
こんな遊びを楽しめるのは、人類だけです。
あなたは、折伏を「楽しむ」ために人間に生まれてきたのです。