世界では、様々な宗教において、様々な本尊が信仰を集めています。
しかし、そうした架空のシンボルを拝むくらいなら、虫けらを拝むほうがまだマシです。
なぜなら、虫けらは架空の存在ではなく、現実に「命」を持っているからです。
命こそ、誰にとっても宇宙第一の宝であり、仏の正体なのです。
日蓮仏法では、本尊は人法一筒と説きます。
つまり、日蓮大聖人という実在の凡夫が、そのまま本尊として尊崇の対象となります。
南無妙法蓮華経は大聖人の宝号であり、元来は同一です。したがって大聖人その人が本尊となります。
御本尊即大聖人、大聖人即御本尊です。
ここを絶対に忘れてはいけないのです。
御本尊は、天から降ってきたものではありません。
凡夫の身で生まれた大聖人が「創作」されたものです。
凡夫の生命から生じた本尊です。
大聖人がおられなければ、決してこの世に現れることは無かったのです。
御本尊の根本は、大聖人の生命それ自体です。
この世に凡夫がいなければ、御本尊もありません。だからこそ日蓮仏法では、凡夫を尊極の存在と見るのです。
御本尊を単なる図形として拝むのでは、他宗の本尊と変わりありません。
肉体は滅びても、生命は永遠です。
御本尊は、いわば大聖人の生命の「永遠の依り代」です。
大聖人の生命そのものを御本尊に拝していくところに、真の功徳があるのです。
さらに踏み込めば、仏界には自己と他者の区別はありませんから、御本仏大聖人を供養することは、一切衆生を供養することに等しくなります。
御本尊に供養することは、全宇宙一切衆生の生命に供養するに等しいので、その功徳は無限大なのです。
日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ信じさせ給へ
経王殿御返事