方便品壽量品講義より
折伏もきちんとし、信心もやって、それでも自分の商売が思うようにいかなかったら、梵天・帝釈を呼びつけて、叱りつけてやればよいのであります。
それぐらいの、信心に対する大確信がなければなりません。
法華経の智慧より(池田先生)
「怒りを抑えよ」と説かず、悪に対しては激怒して戦えというのが法華経です。
日蓮大聖人は、竜の口の法難において、法華経の行者を見捨てようとしている八幡や月天を厳しく叱責されました。
御本仏のお叱りに、八幡は慌ててひかりものを飛ばし、月天は雲に隠れています。
南条時光が病に倒れた時には、時光にとりついた悪鬼を激烈に呵責され、退散させています。
人間革命にも、戸田先生が諸天に対して「紙を運んでこい!」と怒鳴りつけるシーンがありました。
末法の世では、諸天は衰え、魔王の働きは盛んです。
つまり諸天善神は、意外にのんびりしているので(笑)時には叱りつけることも必要なのです。
日々勤行と折伏に励み、地涌の使命を全うしているのに、祈りが叶わないのだとしたら、それはもう諸天の怠慢です。
あなたに祈りが足りないとしたら、それは「諸天に対する叱責」です。
仏前に梵天帝釈を呼びつけ、祈りを叶えるまで、毎日でも厳しく雷を落とすことです。
これは諸天へのお願いではなく「命令」です。
諸天には、法華経の行者を守る義務があります。これを守らせるのがあなたの責任です。
部員さんを怒鳴りつけるのは絶対にいけませんが、諸天や悪鬼であれば、どんなに激烈に叱ってもかまいません。
大聖人は「剣を呑ませるぞ!」と、脅迫までされています笑
怒りの生命は、こういう時のためにあるのです。
大聖人も、諸天を叱責することで、発迹顕本されました。
これは仏界を顕す上で、最も重要な祈りなのです。
仏(自分自身)が主、神が従であることが明確になるからです。
御本尊には、日本の主神とされる天照八幡が、地に伏して十界の衆生を見上げている様が顕されています。宗教観の歴史的大革命です。
「神は崇めるものではなく、一切衆生の召使である!」という、御本仏の大宣言です。
そう確信することが、仏の境涯なのです。
法華経を保つあなたは、全宇宙の諸天善神を従える大将軍です。
何があろうと弱気になってはいけません。
威風堂々と諸天を指揮し、第六天魔王を打ち滅ぼしてください!