これは、仏法にも通じる哲学の良問です。
石ころはどこにでも転がっている、無価値なものの代表です。誰にも顧みられることもなく、もちろん名前もありません。
しかし、この石ころが石ころとしてここに転がっているまでには、太陽系が成立する以前からの、何億何十億年という、気の遠くなるような歴史があるはずです。
ひとつの名もなき石ころに、宇宙の歴史が詰まっているのです。
石ころはそれを誇ることも、語ることもなく、ただ黙して転がっているだけです。
石ころには石ころにしか果たせない久遠の使命があります。凡夫の寿命はあまりにも短すぎて、それが見えないだけです。
石ころこそが成仏のお手本でしょう。
石ころにも仏性を見出すことが仏眼なのです。