仏法哲理では一切が有でも無でもなく「空」であるとしています。
にもかかわらず、空そのものを表現した本尊は、正像に存在しませんでした。
ほとんどが釈迦をモデルにした像や曼荼羅であり、人本尊に偏っています。とうてい空の精妙を表現するには及ばぬ、不完全な本尊でした。
空を本尊とすることに成功されたのは、ただ日蓮大聖人おひとりです。
基本的に御本尊は法華経の虚「空」会をモチーフとしています。
ただし、図画でなく文字のみの配置で表現するという、人類史に例のない、空前絶後の様式が用いられています。
中央の宝塔も「南無妙法蓮華経 日蓮」の文字だけで表されています。
色も形もなく、ゆえに一切の色形が含まれている。
書であって書でなく、画であって画でない。
經文であって經文でなく、曼荼羅であって曼荼羅でない。
人本尊であって人本尊でなく、法本尊であって法本尊でない。
有であって有でなく、無であって無でない。
実につかみどころのない、類例のない、分類しようがない御本尊です。
御本尊はまさしく「空」そのものなのです。